【新聞記事に関して】軍事郵便の現在

年末、当館所蔵の軍事郵便の記事が掲載されました。

記事を読まれた方の中には、なぜ取っておかないのか?大事なものだろうとお思いの方もいるかも知れない。

売るなど、もってのほかだと思う方もいらっしゃるでしょう。

 

しかし、社会の実情を見るとそうはいっていられない事情があります。

いくつかあげてみます。

 

①断捨離による、シンプルライフの確立。物置、蔵の無い生活。

近年、物を持つ生活をしなくなる傾向があります。特に生活に必要のないもの、例えば、古い農機具や、買い換えにつき、とりあえず取っておくものなど、処分する傾向にあります。取り置く場所が無くなってきているのです。

蔵の処分は顕著です。その背景には、蔵そのものの老朽化、地震での倒壊への不安など上げられますが、世代交代で、古い住宅からの立て替えで蔵を廃棄(中身も)することが多いです。取っておいてと言われても困りますよね。

 

②遺品処理の問題。

遺品どうしていますか?断捨離の秘訣はあれこれ考えす、使うか、使わないかで選別することだそうです。その中で、遺品の処理は当たり前に行われています。遺品の中で使うものはどれだけあるでしょうか。オークションサイトなどを見てください。軍事郵便は当たり前のように取引されています。軍事郵便は商品として成立します。古文書も同様です。

戦争資料は遺族でも必要ないものが多いのです。それは、戦争従事者の孫の世代ひ孫の世代になっているからです。顔のわからない先祖の持ち物を持っていても生活の役には立ちません。70年とはものを忘れるにはいい時間なのです。

 

③資料認識の不足と専門機関。

資料云々の話をすると嫌がられる場合があります。それは、家にとっては必要なものかもしれませんが個人にとっては必要ないものの場合があるからです。ではその時、相談できる機関がどれほどあるでしょうか?置賜に総合博物館ありますか?往復2時間かけて県立博物館にいきますか?すぐ対応できるようなフットワークの軽い機関がなければ、資料は残りません。そして資料とは何かを学ぶ機関がなければ資料認識は浸透しません。

山形県は比較的資料が残っている地域です。しかし、前述の蔵の処分やシンプルスタイルの増加でいままで残っていた資料も残念ながら廃棄されるケースがありました。ただ処分したことによって遺族、所蔵者を非難できるものではありません。

 

このように、遺品処分や所蔵品の処分は当たり前の時代なのです。処分するにあたり、相談などがありましたら農村文化研究所へご気軽にご連絡ください。