日本経済新聞・全国版・あとがきのあと

民俗学の巨星、柳田国男の「正統な後継者」を自任する。「今の柳田学は評論ばかり。本来柳田は自身の研究成果から農村の人々の幸福へ至る経世済民の道筋を示し、実践することを重視した」と主張する。その実践フィールドとして選んだのが、米沢市を中心とする山形県置賜地方。学生時代から通い続けること40年超。副題に「“しあわせ”の農村民俗誌 山形県米沢」と付けたのは、長年協力してくれた人々への感謝の表れでもある。
米沢に通うきっかけは、篤農家・遠藤太郎翁との出会い。農村の未来を思い、幼稚園を開設して教育に力を注ぎ、捨てられゆく民具を集めて資料館を作った翁にほれこみ、民具整理を申し出た。「もともと信仰を研究するつもりだったが、遠藤さんが集めた登拝用具を見てすごいと思った」四囲を山に囲まれた米沢盆地は、夏高温、冬の多雪で稲作の適地。そこには豊作を祈念し、あるいは成人儀礼として男子が飯豊山に登る習俗があり、その用具や登拝前にこもって精進した「お行屋」なる小屋が残っていた。「目指す研究の素材が皆そろい、全部が結びついた」そうだ。
この「高い山」信仰と里の田を結びつけたのが、山の宗教者たる修験者だ。農民には山の虚空蔵菩薩(=穀蔵)行を、漁師には畜生済度を、林業者には木霊を祀る草木供養塔建立を勧め、自然との共生、日々の仕事の中に幸せがあると修験者は説いた。「教えの根底に命に対する感謝があった。それが米沢の精神風土の醸成に強く影響している」とみる。
幸せとは、精神文化と物質文化の「仕合せ」でもある。柳田が排除した「仏教」要素を本書で取り入れた理由がそこにある。「超えられないまでも、柳田民俗学を補完できたらいい」と謙虚に野心を語った(春風社・3500円)2016.05.29