「北満従軍画集」紙上公開/下 人間に温かいまなざし 「最前線」で描いたロマン 

戦後71年・やまがた

「北満従軍画集」紙上公開/下 人間に温かいまなざし 「最前線」で描いたロマン /山形

絵の才能を認められて第二次世界大戦中に旧満州(現中国東北部)北部で戦闘詳報班(絵画担当)に配属された米沢市出身の斎藤千代夫。旧ソ連軍の監視などの任務の合間に現地の風景や人物などを描いた。日本に持ち帰ってアルバム3冊に収めた416枚に及ぶ「北満従軍画集」には、最前線にいたことを感じさせないロマンに満ちた絵も多い。【佐藤良一】

中でもロシア人の若い女性に思いと空想を巡らせて描いた絵が目を引く。鼻筋が通ったかなりの美人、「ソニア」が何枚も登場する。斎藤が公用でハルビン市に行った際、慰問団に出会ったのがきっかけという。画集のメモ書きには、こうつづっている。

「戦争を忘れるような踊りや音楽が……『可愛いソニア』という軽音楽が私の心をとらえた。美しい歌い手の娘は白露の二世であった。このプリマドンナのことを私は胸のうちで『ソニア』ときめてしまい空想をほしいままにした」

「ソニア」がアムール河の流氷の上にヌードになって横たわった絵もある。当時20代で多感な斎藤は、戦時であることを忘れているかのようだ。

画集の整理を請け負った米沢市の公益財団法人、農村文化研究所の佐野賢治所長は「軍隊内で、このような絵を描くことと、詩を書くことが許されたというのが驚きだ。戦時絵画としては非常に珍しい」とする。

斎藤は民情調査と称してよく出かけ、わら半紙やノートの切れ端などに鉛筆や枯れ枝でスケッチし、後で絵の具で色付けした。現地の女性や子供、老人を好んで描き、風景画も多い。

満蒙開拓団の兵舎にいたあどけなさが残る16歳の少年を描いた際、故郷にいる弟を思い出したと記している。一貫して人間に対する温かいまなざしが感じられ、佐野所長は「旧満州の村や山を通して、故郷の山形を思い出していたのではないか」と想像する。

終戦前の転属命令で帰国し生き残った斎藤は戦後、所属した部隊が旧ソ連軍の爆撃で全滅したことを戦友会で聞いた。

米沢では家族を養うため家業の雑貨店などの経営を優先し、ようやく余裕ができた70年、絵画活動を再開。8回の日展入選などに輝いた。次女の遠藤美映子さん(61)は「毎年、日展の発表時期になると、夜も眠れなかった父を思い出します」と語る。斎藤は生涯、「草の根の画家」を自称した。

毎日新聞2016年8月1日 地方版

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