日本語の“モノ”は“物”、物質的なものはむろん、“もの”精神的な存在も表します。
つまりすべてのモノに魂、霊魂が宿ると考えてきました。置賜地方では木にも命があると伐木の後に草木塔を建て木霊を供養したことが知られています。
ところで、大量消費を前提とした近代工業社会における大量生産はその行くつく先に大量の廃棄が控えています。「モノを粗末にするな」「もったいない」との古老の言葉もむなしく響き、折れ針を豆腐に挿す針供養の行事に見られたようなモノへの感謝の気持ちも薄まってきているようです。資源の利活用からリサイクル運動の取り組みもなされていますが十分ではありません。
21世紀の“モノ”つくりを考えるとき、作り手と使い手が見える関係、生産者と消費者の相互交流が見直されることになります。経済方面では「地産地消」や「フェアトレイド」が身近な例となります。今回は置賜の手仕事から現代社会を改めて見つめなおしたいと考えます。 |