「北満従軍画集」紙上公開/上 軍隊生活や住民多彩に 斎藤千代夫の遺品

戦後71年・やまがた

「北満従軍画集」紙上公開/上 軍隊生活や住民多彩に 斎藤千代夫の遺品 /山形

 

第二次世界大戦中、旧ソ連との国境近くの旧満州(現中国東北部)北部で、監視や偵察任務の合間に絵画を多数描いた米沢市出身の兵士がいた。軍隊生活の様子や住民の暮らし、ロマンチックな女性、慰安所の慰安婦と多彩だ。このほど、戦争資料館を運営する公益財団法人「農村文化研究所」(同市六郷町)に画集の整理とデジタル保存を委託した遺族の了解を得て、紙上公開する。【佐藤良一】

米沢市南原地区出身の斎藤千代夫(1921〜2008年)。42年8月に召集され、同11月、旧満州の黒河省神武屯の北満第7232部隊に着任した。陸軍歩兵1等兵だった。絵の才能が上官の目に留まり、敵の情勢を記録して報告する戦闘詳報班(6人編成)の絵画担当の1人に配属された。国境の黒竜江(アムール川)沿いに配置された高さ30メートルの鉄塔上部の監視哨から、旧ソ連軍の監視が通常の任務だった。

本土防衛の命令を受け、1945年4月に博多に帰還し、終戦を迎えた。愛着のあった約800点の絵画を没収されないように油紙で包むなどして持ち帰ったという。その後、米沢に戻り、アルバム3冊に「北満従軍画集」としてまとめた。

戦後は家業の雑貨店や、ガソリン販売店に専念した。70年に趣味として再び描くようになり、飯豊山などの油絵が有名となった。画集の一部を自身の個展で披露したこともあったが限定的で、画集の存在を知った同研究所所長の佐野賢治・神奈川大教授が99年に直接話を聞いた。戦後70年の昨年、同研究所が画集の寄贈を遺族に打診。所有権は遺族が持ち、同研究所がデジタル保存の了解を得た。

生前の斎藤によると、神武屯には民間業者による2カ所の慰安所があり、アヘンを吸わせる店もあったという。頼まれて7枚の朝鮮人の慰安婦を描いたが、「慰安婦のことで話はあるが、これ以上は話したくはない」と述べたという。

画集からは軍隊生活の様子もうかがえる。草枕で昼寝したり、トウモロコシを食べたりする兵士や、別れを惜しみながら振り返る戦友などをスケッチしている。だが、画集に添付したメモ書きには、現実を踏まえたこんな心境も記している。

「兵士のだれもがアムールを越えてシベリアに攻めこむ日は必づある、と思っていた。果てしない草原の戦い。まづそうなれば『生きて再び祖国には』……と、兵士の誰もが思っていたのではなかったか」

毎日新聞2016年7月31日 地方版

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